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神々のつぶやき No.52 いずれも先達から聞き及んだ話だが…

エントリー投稿日:2021/12/01

ゆく年くる年、さよなら2021年、こんにちは2022年

2019年末から2年間という長い期間、コロナという疫病によって世界中の人々が大変な思いを致しました。
されど、決して明けない夜はございません。必ずや旭日昇天の如く、
皆様にとっての太陽が戻り、運気が訪れることでしょう。
いよいよ2022年(令和4年)は、一人一人の夜明けです。
待ちに待った運気到来です。ぜひ共にこのチャンスをつかみましょう。

来年からは勾玉牛君に代わりに寅ちゃん(マガトラ)の登場です。ご期待ください。


本日は、牛ちゃんの話ではなく、人間まがたまゴロゴロ様のこの一年の気にかかったこと、
また、なつかしく想う一説を書きました。女性皇族と教育、そして信仰です。

私ゴロゴロはこの一年で何とも言えない感情になった出来事がありました。
皇族秋篠宮文仁親王の御長女(現、小室眞子さん)の件です。
お二人がテレビで話されているのを見ておどろいたのは眞子さんが堂々と
民間人以上の歯切れをもってお話されている姿でした。
私はお二人の結婚に対して何ら申し上げる事はありません。どうか、お幸せになられてください。

何年か前に亡くなった私の義母は上皇上皇后両陛下の御息女、
元紀宮内親王、現黒田清子さん(現天皇陛下の実妹で伊勢神宮祭主)の二歳児から永年にわたり
東宮御所に通い家庭教師を務めた一人でした。上皇御夫妻からの再三の依頼も断り続けましたが
美智子上皇后さまからの一言で引き受けることになったそうです。

「この子はいずれ民間に嫁ぐ日が訪れるでしょう。その時にしっかり対応できる教育をお願いしたい」
とのお言葉を賜り、心を決めたと申しておりました。
後に義母は新聞やテレビに特別な天皇家の家庭教師として取材を受けた時に同じ想いを語っております。

義母の教育理念は「教育は実践的な裏付けに支えられていなければならない」ということであり、
幼少の紀宮内親王に包丁を握らせ、東宮御所で火を燃やし、焼き芋を食したりもしたようです。
また、人とは、女性とは、伝統(信仰)とは、といった話をしばしば語ったといいます。

この度の眞子さんのテレビ会見での内容は正に女性皇族世界を超越した人間味ある
実践的なものであったと私は思いつつ久しぶりに義母のことを思いだした一節でした。
眞子さんもおそらく実践教育者との交流、出会いがあったのでしょう。

人は、人間である以上、心と体(健康)を育み、伝統と祈りの魂を大事に、
日々実践の活動の中、生きて行く者と考えます。

私、ゴロゴロは天皇家とは全く関係もゆかりもありませんが、
神宮に奉仕する機会を得ていることに人生の不思議を感じています。
来年も引き続き神宮を通じ、良き祈りを日本に、世界に、届けたいと思っております。

本年もコラムお読みいただき有難うございました。
来年もよろしくお願い申し上げます。

マガ寅ちゃん登場です!

                                   勾玉牛拝

                                       

令和3年度 伊勢神宮勾玉会主催 全国会員特別まがたま祭が無事終了致しました

エントリー投稿日:2021/11/17

お知らせ

令和3年度 伊勢神宮勾玉会主催 全国会員特別まがたま祭が無事終了致しました。

11月13日(土)
ホテル&リゾーツ伊勢志摩におきまして、全国より集った60名の方々が参席されました。
第一部 会員主催によるコンサート
第二部 伊勢志摩の美味しい料理を堪能する晩餐の夕べが開催され、楽しい一時を過ごさせて頂きました。

11月14日(日)
雲一つない神宮において
午前 外宮(御垣内)参拝 
神楽殿において御神楽奉納。せんぐう館(初めての方々のみ)拝観。

午後 内宮(御垣内)参拝
神宮会館において当日参加者を含め80名御臨席の下、直会を開催。
当会参与で女優の熊谷眞実氏の挨拶もあり、わきあいあいの中終了致しました事、お知らせ致します。

この度の式典を最後に、本年度の勾玉会の神宮における式典は終了致しました。

来年、令和4年度は恐らくコロナも現状よりも落ち着き、素晴らしい内容で神宮参内になるものと思います。
何卒宜しくお願い申し上げます。


ホテル&リゾーツ伊勢志摩において会員による癒しのコンサート


神宮参拝(外宮)


神宮参拝(内宮)


神宮会館(直会) 主催者挨拶


神宮会館(直会)にて


熊谷眞実(当会参与)さんを囲んで


直会の中締め 東京代表(理事)永瀨正彦

神々のつぶやき No.51 いずれも先達から聞き及んだ話だが…

エントリー投稿日:2021/11/01

我が輩はモゥーモゥーの牛である。
以前は人間もしておりました!
我がモゥーモゥーと人間の間で見た聞いた話をそっくり語るモ~
モゥ~冬になるなぁ~!

<今回は様々な人間、人類の捉え方モ~シ>

我等のOSHOはこんなこと言ってるよ~

人類の過去は全てとは言わないがずっと悲しげな人々によって支配されてきた感じもする。
悲しげな人々は他者を支配することに無類の喜びを見出す。
彼らは他の喜びを知らない。
彼らの唯一の喜びは他者とその自由を押し潰すことにある。
彼らの唯一の喜びは他者をますます喜びのない状態にすることだ!

彼らは幸せな人々 ―歌い、踊り、祝うことのできる人々― に激しい嫉妬と怒りを感じる。
その悲しげな人々は計り知れないほど多くのものを破壊してきた。
彼らほど人類に対して害を及ぼした者はいない。
あらゆる間違った政治と宗教の聖職者たちは、ことごとく人間性に反してきた。

そして・・・
新しい人間は・・唯一新しいヴィジョンのもとに誕生する。
新しい正しい宗教性のヴィジョンのもとにはじめて新しき人間は生まれる。

私は愛、笑い、祝祭の宗教を信じる。
あなたが至福に満ちているとき、あなたと存在との間に橋が架けられる。
だから私はただ至福、至福と伝える。これで申し分ない。
そしてこんな人々こそ人間である。

  一、 自分の運命を選び、決定するようになった人。
  一、 向かうべき方向について勘(センス)のある人。
  一、 創造的な人、絶えず発見している人。
  一、 実存と成長の新たな道を探求する人。
  一、 生来のものに飽き足らない人。
  一、 自分の生活形態(ライフスタイル)において知性的であることを望む人。

このような人が人間らしいかも知れない!
そして究極なるものへ神聖なるものへと昇っていくのは、ごくわずかな者だけ!とも言う。
磁石の針はいつも北を指している。だから帆船は方向を見失わない。
人の心が正しい信仰に向けられているかぎり、世俗の海に迷う事は無い!!

ナント スバラシイ!ワシの周りでこんな生き方をしている人は一人だけである。
それはオガワギュウ~君だ!ビックリモ~!
ハヤシギュウ~君はワカルカナ~。
今月は伊勢でも行くベコ。


                                    勾玉牛拝
                                    
                                         

神々のつぶやき No.50 いずれも先達から聞き及んだ話だが…

エントリー投稿日:2021/10/01

我が輩はモゥーモゥーの牛である。
以前は人間もしておりました!
我がモゥーモゥーと人間の間で見た聞いた話をそっくり語るモ~
“夜眠る前に贈る言葉 OSHOより”
モゥ~秋だなもし!でもまた正月が近くなったモシ!一年は早いなぁ~


暑い神々の話。その② ~神と調和~

人間は見た目ほどちっぽけな存在ではない。人は広大だ。途方もなく広大である。
人は大洋のようだ。大洋にさえ限界はあるが人間にはどのような限界もない!

大洋でさえ、それほど広大ではない。人間の広大さは神の存在を示す唯一の証明だ。
神とは人間の広大さを表すもう一つの呼び名だ。

私たちは肉体に押し込められたものでも、またマインド(心)に
押し込められたものでもない。私たちは両者を超えている。
生きるマインド(心)の全過程(プロセス)とは玉ねぎの皮をむくようなものだ。
そこには幾重にもなる自己証明が層をなしている。
それでも私たちはゆっくり、ゆっくりとすべての層を落としていかねばならない。
そして最後に残るものは無だ ―――その無こそがあなたである!

唯一、無のみが広大になり得る。何かには限りがある。「無」だけが無限だ!
それゆえ神とは究極の無だ!神とは何者でもない。完全に誰でもない者だ。
ただただ臨在(※キリスト教で見えない神がそこに存在すること。
また人の行為を通して神が働きかけたこと)であり無限なる境界なきものだ。
そしてまた私たちも。

私たちは神と異なるものではない。私たちはその無限性の一部だ。
価値あるもののすべてはそのまさに核からして調和に満ちている。
調和のないところに神は存在しえない。存在の中に見る調和は存在を何か目に見えぬ
何かがうまくまとめていることを証している。調和なくしてはいかなる愛もなく、
だがそれは目には見えぬ連なりであり、誰もそれを見ることはできない!
調和のとれた人間は必ず快活に、また美しくなるものだ。
それは必然である。快活さ以上に美しいものはなく、調和以上に優美なものはないのだから・・・

とOSHOは言う。モー!
相当暑い話だなぁ~モシ!
分かるかな?分んねぇだろうな~モシ。
神社へでも行くべこ!


                                       勾玉牛拝
                                         

神々のつぶやき No.49 いずれも先達から聞き及んだ話だが…

エントリー投稿日:2021/09/01

我が輩はモゥーモゥーの牛である。
以前は人間もしておりました!
我がモゥーモゥーと人間の間で見た聞いた話をするモ~。

モゥー君から暑中見舞いとついでに残暑見舞いを送りますだ!
モゥー秋の9月だモゥー がんばっぺ!
三度読まないと!モゥ!

暑い神々の話。その①

ひとたび目覚めると人は生を全く違った風に生き始める。
その生は依然として同じままであっても、もはや以前のあなたではない。
あなたの取り組み方が違っている。あなたの流儀そのものが違っている。
すぐに感じなくてもだ!あなたは意識的に生きる!もはや手探りで暗闇を進むことはない。

あなたは頭からではなくハートから生きる。
その生そのものが愛・慈愛となり、歌、ダンス、祝祭となる。
そしてむろんあなたと触れ合った人は誰であろうと影響を受ける!それは伝染性のものだ。
それはまるで炎、暑い暑い雷神の様だ。
野火のようにどこまでも広がっていく。・・・・

神にはいっさいの束縛がない。
無限で広大なるものだ。神は大洋のようであり、私たちはまるで露しずくのようだ。

人は海の中へと消え去る術を学ばなくてはならない。それには勇気がいる。
何しろ海の中へ消え去ることは、しずくとしての死を迎えないかぎり海としての誕生は不可能だ。
種が種として死ぬとき、偉大な樹は生まれる。種が消え去る・・・
唯一その消滅を通してのみ樹は現れる。

神にはいかなる暗闇も存在しないし、光のあるところに闇はない。
暗闇は光が不在であるとき初めて現れる。それゆえ、光と闇は決して出会うことがない。
光は暗闇の存在を全く知らない。
どうやって光に知ることができるというのかね?
光がそこにあるとき、闇はあとかたもない。暗闇とは単なる不在なのだ。
神は暗闇のことなど何も知らない。そして私たちはただ暗闇しか知らない。

神と私たちとの間に橋が架からずにいるのはそのためだ。
暗闇が消え失せ光だけがあるという地点にまで私たちも辿り着かなければならない。
あなたから暗闇が消え去るとき、その日こそはこの上ない祝祭の日!
この上ない至福の日だ。だがそれは自分自身が光であることを悟って初めて可能となるらしい!

   ア~ア~ タダでさえ暑いのにこれ読んでものすごく暑くなったような感じだなぁ~モゥー

   つづく。

                                           勾玉牛拝

                                            

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