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神々のつぶやき No.57 いずれも先達から聞き及んだ話だが…

エントリー投稿日:2022/05/01


我が輩は寅ちゃんである。
寅は寅でもマガ寅と申します。
寅ちゃんが見た聞いた物語、始まり始まり!

OSHOが語る!
<まぼろしから真実へ。自己想起がどのように人間の心(マインド)を変容?させるのか その1>

人は自分自身に中心を据えていない。生まれたときは中心を据えていたが、
社会や家庭や教育や文化が人を中心から逸らしてしまう。
その逸らし方は知ってか知らずか非常に巧妙なものだ。
だから誰もがある意味でエキセントリック、つまり脱中心になる。

それには理由がある。生存にかかわる理由だ。子供が生まれると特定の訓練が施される。自由は許されない。
もし全面的な自由が許されたら彼は中心にとどまる。無為自然で自分自身とともに生き、自分自身を生きる。
そんな人間はあるがままで本来的だ。真正だ。だとすれば自己想起を実践する必要はまったくない。
瞑想を実践する必要はまったくない。なぜなら中心からまったく逸脱していないからだ。
そんな人間は自分自身にとどまっている。中心を据え、根を下ろし、自分自身の存在に落ち着いている。
でもそれはまだ可能ではない。

だから瞑想とは治療のようなものだ。社会が病気を創り出した。
そこでその病気を治療するというわけだ。宗教とは治療のようなものだ。

もし本当に自由に基づいた社会が進化したら、もはや宗教の必要はない。(全てではないが!!)
私たちが病んでいるからこそ治療が必要となる。私たちが脱中心であるからこそ、中心を据える方法が必要となる。
いつの日にか健康な社会、内側の健康な社会が地上に作られたら宗教は存在しなくなるだろう。
でもそんな社会を作るのは難しいだろう。私たちは周辺部に生きている。社会の許容範囲内にだけ生きている。

私たちの自由は偽りだ。なぜならゲームの規則、社会的ゲームの規則があまりにも深く染みこんでいるからだ。
いかに自主的に物事を選択しているつもりでも自分で選択しているわけではない。
その選択は教化されたマインドに由来している。そしてそれは機械的に行われる。

生涯に八人の女性と結婚した男がいた。ある女と結婚し、そして離婚し、それからまた別の女と結婚した。
とても用心深く、とても用心深く、とても用心深く。なぜなら前と同じ罠にはまりたくなかったからだ。
あらゆる方向から検討して大丈夫、この人は前とまったく違うと彼は思った。
ところが数日経ってまだハネムーンが終わらないうちに
その新しい女もまた前の女、最初の女とまったく同じだとわかってきた。そして六ヶ月するとその結婚も破れた。

それから三番目の女と結婚したが、前よりももっと用心した。でもまた同じことが起こった。
そして八人の女と結婚した。しかしそのたびにこの女もまた結局前の女と同じだとわかるのだった。
いったいどういうことか。とても用心深く、とても用心深く選んでいたのにいったいどういうことか。

それは選択者が無意識だったということだ。選択する者を変えることができなかったのだ。
選択する者がいつも同じだったら、その選択も結局同じものになる。そしてその選択者は無意識に働く。

あなたは絶えずあれこれをする。そして絶えず外側のものを変えて行く。でも本人は同じままだ。
中心を逸脱したままだ。だから何をしようといかにその外観が違っていようと究極的には同じになってしまう。
最後はいつも同じだ。だからたとえ自分は選択している、自分は自由だと思っていても、
あなたは自由でもなければ選択してもいない。その選択もまた機械的なものだ。

科学者、とくに生物学者によるとマインド(心)には刻印が押されるという。
生まれて4~5年の間に刻印が押されてしまうと言う。そしてそれはマインドの中で固定的なものとなる。
するとあなたはずっと同じことをやり続ける。機械的な仕方で物事を繰り返す。それは悪循環である。


つづく。
今回はこれくらいにしよう!


だったらどうなる!どうする!まったくわかんねえナー!
これは100回読まないとダメダべナー!

                                              我が輩はマガ寅!

                                              

第24期 伊勢神宮勾玉会 全国役員総会のご報告

エントリー投稿日:2022/04/04

2022(令和4)年3月20日 晴天極まる天気に恵まれ、予定通り「2022(令和4)年度 第24期 伊勢神宮勾玉会 全国役員総会」が明治神宮および明治記念館に於いて開催され無事に終了致しました。
全国各地より80名の出席を賜り、新しいメンバーの紹介や事業報告なども有り、神宮の弥栄(いやさか)を願い、勾玉会の発展と繁栄に寄与し、参加者それぞれが己(おのれ) 自身の成長を育む事が出来たと思います。


午前9時30分 明治神宮 南参道 原宿口 集合
午前10時00分 明治神宮 正式参拝
午前11時00分 第24期 全国役員総会 開始
午後 0時45分 総会終了
午後 1時00分 直会および懇親会 開始
午後 3時00分 全て終了


全国役員総会 次第

 11時~12時45分 
 総合司会 梅野 弘之(理事・総務局長 / 元教師・教育関連会社 経営)

一、報 告 第23期(2021年度) 全般報告
  報告者 武本 俊(代表理事・会長 / RMC 心のひろば 世界平和財団 主宰)
一、第24期 (2022年度) 新役員のご紹介
  司 会 永瀨 正彦(理事 / 政府および自治体関連 地域商品アドバイザー)

・評議員  2名
・参 与  3名
・監 事  1名
・参 事  7名
  計  13名
一、歓迎の挨拶
  竹原 孝雄(評議員会 前議長 / 弁護士)
  ※勾玉会創立時からのメンバーで参事、参与、理事など歴任
  昨年12月30日をもって退任(現 評議員会 相談役)
一、報 告 第24期(2022年度) 事業計画についての全般報告
  ※RMC世界平和財団(心のひろば) 第45期 現況報告を含む
  報告者 武本 俊(代表理事・会長 / RMC 心のひろば 世界平和財団 主宰)

一、勾玉会主催の協力事業計画について
  報告者 櫻井 泰行(理事 / 一級建築士事務所 経営)

一、第12回 まがたまの贈り物 について
  報告者 郡 清隆(参与・まがたまの贈り物 代表 / 美術商)
  ※ご招待施設: NPO 法人南風会ステップ増穂【 山梨県 】

一、閉会の辞
  赤井 久男(評議員会 議長 / コンサルタント会社経営)


直会 ・ 懇親会 次第

 13時~15時
 司会 宇田 幸生(理事 / 弁護士)

一、挨拶 神農 巌(参与 / 陶芸家)

一、乾杯 宮島 芳明(参与 / 会社役員)

一、食事・歓談

一、中締め ~第24期 新入会メンバーを代表として~
  高井 智行(参与 / 歯学博士、医療法人社団理事長)

神々のつぶやき No.56 いずれも先達から聞き及んだ話だが…

エントリー投稿日:2022/04/01

我が輩は寅ちゃんである。
寅は寅でもマガ寅と申します。
寅ちゃんが見た聞いた物語、始まり始まり!


<泥棒とは何者ぞ! その2>

泥棒は言った。
「なかなか話のわかる人だ。すると稼業を続けてもいいというわけですか。
その技法とはなんです?早く教えてください。」

OSHOは言った。
「どこまでも目覚めていることだ。お前が物を盗むとき、どこまでも意識し、目覚めている。
どこかの家に押し入るとき、どこまでも意識している。
宝物庫からなにかを盗むとき、どこまでも意識している。意識してそれをするんだ。
お前がなにをやろうと私の知ったことではない。15日したらここへおいで。
お前がそれを実行しなかったら、来なくていい。15日間実行するんだ。
自分のしていることをなんでも続ければいい。だが、どこまでも意識してやるのだ。」

3日目に泥棒は戻って来て言った。
「15日間は長すぎます。あなたはずるい人だ。
もらった技法のとおりにどこまでも意識していると、盗むことができなくなります。
この3日間、私はずっと王宮へ通い続けました。宝物庫にたどり着き、その扉を開くと、
いろんな宝物が目の前に並んでいます。だが私はどこまでも意識します。
どこまでも意識すると突然私は仏像のようになってしまいます。
それ以上、先に進むことができません。手が動かなくなります。
そして宝物なんかどうでもよくなります。
それ以来、何度も何度も王宮の宝物庫へ行くのですが、また戻って来てしまいます。
どうしたらいいでしょう。あなたの話ではこの稼業はやめなくていいはずだったのに、
どうもこの方法の中には何かからくりがあるようで。」

OSHOは言った。
「もう戻って来なくていい。自分で選ぶんだ。もし盗みを続けたいなら瞑想は忘れればいいし、
もし瞑想の方がよかったら、盗みは忘れる。どちらでも好きなほうを選ぶんだ。」

泥棒は言った。
「それは困った。この3日間、私は本当に生きているという感じでした。
王宮からなにも盗らずに帰って来るとき、生まれて初めて
自分は泥棒じゃなくて王者なんだと感じました。この3日間というもの、
あまりに至福に満ちていたので、もう瞑想はやめません。まんまとやられました。
どうか私に入門を許し弟子にして下さい。もう試さなくていいです。3日間で充分です。」

対象がなんであれ、あなたが意識的であればそれは瞑想となる。
意識的に同化すれば、それは瞑想となる。無意識的であれば、それは大きな罪となる。

あなたはいろんなものにすっかり同化している。
「これは私のものだ。あれは私のものだ・・・」というふうに。あなたは同化している!
「これは私の国だ。これは私の民族だ。これは私の国旗だ・・・」というふうに。

もし、誰かがあなたの国旗を投げ捨てたら、あなたは憤激する。
だが、いったい彼がなにをしたというのか。

あなたには国などありはしないし、国旗などはすべてお伽噺だ。
子供のようにそれと戯れるならいいだろう。それはおもちゃだ。
だがそのために人を殺し、また人に殺される。そして国旗を侮辱したために国が創られ、
また破壊される。一片の布きれではないか!

いったいどういうことか。あなたはそれに同化している。
そのような同化は無意識だ。無意識、それこそが罪である!


今日はここまでにしよう。

ああ~やっぱりこれも3回は読まないとダメダべナー!

                                    我が輩はマガ寅!

                                       

神々のつぶやき No.55 いずれも先達から聞き及んだ話だが…

エントリー投稿日:2022/03/01

我が輩は寅ちゃんである。
寅は寅でもマガ寅と申します。
寅ちゃんが見た聞いた物語、始まり始まり!

<泥棒とは何者ぞ! その1>

ザ・マガ寅いわく
OSHOは街の外のとある古い僧院にひとり滞在していた。
その僧院は荒れ果てていた。

彼は中に入った。その男の足音が聞こえたが、振り向かなかった。
なぜならこう考えたからだ。
「あの男はきっと私のためではなく鉢のためにやって来たのだ。いったい誰がやって来るのだろう。
今まで私の後についてこの廃墟にやって来る人間なんかひとりもいなかった」

彼は中に入った。泥棒は壁の後ろに立ってじっと待っていた。
泥棒が外で待っているのを見てOSHOは鉢を扉の外へ放り投げた。泥棒にはわけがわからなかった。
いったいどういう男なのだ。裸であれほど高価なものを持ちながら、それを外に投げ捨てるなんて!

そこで泥棒はOSHOに尋ねた。
「入っていいですか?聞きたいことがあるのです」

OSHOは言った。
「鉢を投げたのはお前を(泥棒)中に招き入れようと思ったからだ。
お前が中に入れるように計らったのだ。これから昼寝をするところだ。
眠ってしまったらお前はきっと鉢を取りにやって来るだろう。
だがそれでは私との出会いがない。だから入っておいで」

泥棒は入ってきた。そして言った。
「こんな高価なものを投げ捨てるんですか。あなたのように偉い聖者様に嘘は言えません。
私は泥棒です」

OSHOは言った。
「そんなことはどうでもいい。誰でもみな泥棒だ。さあその先を続けなさい。
そんなつまらないことで時間を無駄にするな」

泥棒は言った。
「時々、あなたのような人を見ていると、どうしたらそんなふうになれるのか知りたくなります。
私は泥棒です。だからしょせん無理なことかもしれません。でもいつか私もそんな高価なものを
投げ捨てられるようになりたいと願い祈っています。どうか私になにか教えてください。
私はいろんな聖者のもとへ行きます。私は世に知られた泥棒です。みんな私のことを知っています。
聖者たちは言います。「まずお前の生業(なりわい)を捨てよ。稼業を捨てよ。
そうして初めて瞑想に入れる」と。でもそれは無理です。この稼業をやめるなんてとてもできません。
だから瞑想に入れないんです」

OSHOは言った。
「もし『瞑想をする前に盗みをやめろ』と言う者があったなら、
そんな人間は瞑想のことをまったく知らない!瞑想と盗みにどんな関係がある。なんの関係もない。
だからなんであろうが自分のしていることを続けるのだ???
お前にひとつタントラ(技法)をあげよう。それを実行するといい」

続く

  ああ〜いったい何を実行すると言うのか!!!
  オモシロイ話だ!さぁ〜神社にでも行くトラ!

                                    我が輩はマガ寅!

                                       

神々のつぶやき No.54 いずれも先達から聞き及んだ話だが…

エントリー投稿日:2022/02/01

我が輩は寅ちゃんである。
寅は寅でもマガ寅と申します。
寅ちゃんが見た聞いた物語、始まり始まり!

<マインド(心)を超えて源泉へ>

ザ・OSHOいわく

人は結果を記憶し、その結果を想像し、願い、求め続ける。
人は自分自身をまったく簡単にだましてしまう?―――その結果を達成したと想像してしまう。

いつだったかある日、人が訪ねて来た。求道者だった。
非常に年取った老人だった。30年前に求道者になった人だった。そして今80近い。

彼は私のところへやって来て言った。「私がここに来たのは、知りたいことがあったからだ。」
そこで私はいったい何が知りたいのかを尋ねた。

突然、彼は様子を変えた。そして言った。
「いや。実は知りたいわけではない。ただあなたに会うためにやって来た。
もはや知るべきことは全て知ってしまった。」
30年間というもの彼は想像し、求め続けて来た。―――至福を、そして神的な体験を。
そして今、老年になって彼は衰え、死は間近となった。
そして自分はもう体験したという幻想を創り上げていた。

そこで私は言った。
「もし、すでに体験しているなら、黙ったまま私と一緒にしばらくここにいらっしゃい。語る必要はないはずだ。」
すると彼は落ち着きを失った。そして言った。
「それでは私がまだ体験していないと仮定しよう。さあ何か私に教えて欲しい。」

そこで私は言った。
「私にとっては仮定ということはありえない。もう知っているか、まだ知らないかのどちらかだ。
だからはっきりさせよう。もう知っているなら、そのときは沈黙を守る。ここにしばらくとどまり、
それから去ればいい。だがまだ知らないなら、はっきりさせることだ。知らないと私に言いなさい。」

彼は困惑した。彼がここにやって来たのは、いくつかの技法(タントラ)について尋ねるためだった。
そこで彼は言った。
「実のところ、まだ体験していない。だがアハム・ブラフマスミー私は神だ」について
一所懸命に考え続けてきたせいで、時々自分はただ考えているだけだということを忘れてしまう。
それを30年間夜も昼も繰り返してきたせいで、時々すっかり忘れてしまうーーー
「自分はまだ知らない。それはただ借りてきた文句だ」ということを。

どれが知識でどれが体験なのかを覚えているのは難しい。混乱してしまう。
混じり合って収拾がつかなくなる。知識はいともたやすく体験となってしまう。
人間のマインド(心)はひどく欺瞞的、ひどく狡猾だから、それはありがちだ。
シヴァが体験について沈黙を守った理由もそこにある。

彼はそれについてなにも言わない。
方法(タントラ)については語り続けるが、その結果については一貫して沈黙を守る。
だから彼にだまされるということはない。

マインド(心)はどうしても結果に執着する。方法には興味がない。その最終結果に興味がある。
もし方法を迂回して結果に到着できたらマインドは大喜びであるが、それは間違いである。


分かるかなぁ〜 分かんねぇだろうなぁ。3回読んでトラ!!
まぁ神社にでも行くべトラ!

                                    我が輩はマガ寅!

                                        

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