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神々のつぶやき No.48 いずれも先達から聞き及んだ話だが…

エントリー投稿日:2021/08/01

あれ!本物のコロナ様はどこに隠れたかモシ!
オリンピックはいかがかなモシ!
どうであれ大変!モウータイヘンダーモシ!

覚えておくこと。その③
オー(ブッダ、ブッダ!)

十二年の放浪の後、ブッダは生まれ故郷へと帰って来た。
何百という個々人が弟子になっていた。
彼は弟子たちにとって内的な光となっていた。

だが彼の父は事の全体に全く気付いていなかった。
それに息子が会いにやって来ると、父は怒った。
ブッダは一人息子だった。だから彼は怒ったのだった。
―――その一人息子は彼の唯一の希望だった。
それなのに父は老齢にして息子に見捨てられた。

ブッダを目の前にして彼は言った。
「お前がやっていることは断じて許さん。私はお前の父だ!
お前をあまりに愛するがゆえ、お前が何をしてきたにせよ、忘れることはできる
ーーー私の扉は今も開いている
ーーーだからこれらの馬鹿げたことはひとつ残らずやめなさい!
息子が乞食をしているなど見るに耐えん!」
彼にとってブッダはただの乞食だった。今の言葉ではただのヒッピー、反逆者だ。

ブッダは何も言わずそこに立っていた。
そしてついに父はブッダが返事をしないのに気付いた。父は言った。
「なぜ何も言わないのか、私にはわかる。お前は意気地無しだからだ!」

ブッダは笑って言った。「あなたは誰と話していらっしゃるのですか?
あなたの家を後にした息子はもういません。私はあの時とは完全に違う人間です。」
父が前にもまして怒っているのは明らかだった。

彼は言った。「私がお前を知らないとでも言いたいのか?
お前がこの世に生まれたのは私があってこそだ!」

ブッダは言った。「あなたは生を与えて下さいました。ですが、私はあなたに属してはいません。
あなたの所有物ではありません。あなたは単にこの世に生まれ来るための通路でした。
私は感謝しています。でも私を知っているとは言わないで下さい。
あなたは自分自身のことさえ知らないのに、どうやって私のことがわかるのでしょう?」

父は同じ調子で話し続けた。彼は高次の存在となったブッダに対して開いていなかった。
目の前の現実には開いていなかったが、息子であるシッダルタの記憶に対してだけ開いていた。
高次の力は彼に対して開いていたが、彼は低次の力に対してだけ開いていた。
目の前の現実すら見ず、過去の記憶の中にある父として振る舞っていた。

あらゆる事柄はあなた次第だ。ブッダはどんな時代や期間の専有物でもない。
ブッダのパワーは常にそこにある。至る所に存在している。
人はただ開いていなくてはならないだけだ。

まず最初にすべきことは、低次に対して閉じることだ。習慣の激しい力によって、
心(マインド)が低次に開く時はいつであれ目撃者でいることを絶えず覚えていなさい。
そうすればそれは止み、閉じるだろう。
低次の中でエネルギーを無駄にしてはならない。そうすればエネルギーを消費せず、
エネルギーを蓄積していることだろう。
それに蓄積されたエネルギーは高次のドアを開く助けになる。
一度あなたが高次の可能性の存在を感じ始めたら、低次のことを考える必要すらなくなる。
低次なるものは消え去った。あなたは全く違う世界、違う次元、新しい存在へと入った。
そこであなたは進化した魂から助け協力を受け始める。

   少し難しかったが、3回読み返せば理解するさ。
   よくよく覚えておくこと!

   終わり。

                                勾玉牛拝


                                    

神々のつぶやき No.47 いずれも先達から聞き及んだ話だが…

エントリー投稿日:2021/07/01

我が輩はモゥーモゥーの牛である。
以前は人間もしておりました!
我がモゥーモゥーと人間の間で見た聞いた話をするモ~。
 
あ、そうだモシ 本日7月1日は我がモウーが誕生した日だなモシ!
何となく670才になってるなモウー。

覚えておくこと。その②

怒りの可能性が断たれたのをきっかけにグルジエフは他の領域でもこの技法を試した。
例えば女性との関係だ。
いつであれ性的衝動が生じた時は彼は必ず待った。
二十四時間経てば衝動はもはや消えている。心はもう低次の力によって引き寄せられなくなった。
ひょっとしたら性犯罪をも少なくする手法でもあるかも知れない。
この手の話はこれ以上ここではやめよう・・・・

何年もの間、このような事を訓練した後、
グルジエフは突然心(マインド)の中のもうひとつの「通路」に気付いた。
流れを要するエネルギーが低次の力の出口が塞がれたせいで、
新たな出口を見つけなければならなかったのだ。

例えば大勢の人々がいる教会の側を通り過ぎながら沈黙の内に祈っている人々をただ見ているだけで、
突然彼の心(マインド)の扉が開き、そこで祈っている人々と一体になるのだった。
突然彼の心(マインド)が何か高次の力に対して開いたのだ。

そして、もうひとつの計り知れない現象にも気付いた。
ただ通りを歩いていて一見普通の人とすれ違うと、グルジエフは突然その人が
普通の人でないことに気付くのだった。その人は神秘家(高次人)だった。
グルジエフがその人の後をつけ、少し調べると毎回100%の確率で当たっていた!
グルジエフの中でこの「通路」は奇跡を求める礎となり、彼はそれに従った。

あなたが高次の力に対して開けば物事はとても違った風に起こり始めるだろう。
だが、もし低次の力に対してだけ開いていたら、暗がりで高次の力を探し求める事になる。
手探りは行き当たりばったりであり、偶発的だ。

時々あなたは誰かを、または何かを知るかも知れないが、それは稀だ。
たとえもし、あなたの人生を変え、完全に変容させられる誰かや
何かに遭遇したとしても、あなたは気付かない!
たとえもし、ブッダに出会ったとしても、あなたは覚者と面と向かっていることに気付かないだろう。

どうやったらそれがわかるだろうか?
あなたは今は高次のものに開いていない。だからたとえあなたが覚者に出会ったとしても
彼の低次の可能性にしか開かないだろう。ブッダの中にさえ自分を乱すものを見つけ出すだろう!!!

私たちは低次の力を信じているし、信仰している。
なぜなら私たちの中では低次の力に対してだけ扉が開かれているからだ。

もし誰かが他の誰かを非難していたら、私たちはその人の言うことを全面的に信じる。
証明の必要はない。そうやって噂は真実になる。あなたは全く間違った噂を作り出すこともできる。
だがとても多くの人々がそれを信じているせいで、その後あなた自身がそれを信じてしまう可能性がある。
私たちは他者によって導かれる。もしあまりに多くの人々が何かを言ったら、それは真実に違いないと!?

次回、覚えておくこと最終章その③は、ブッダの正体とは!高次とは!

 つづく

                                         勾玉牛拝

                                           

神々のつぶやき No.46 いずれも先達から聞き及んだ話だが…

エントリー投稿日:2021/06/01

我が輩はモゥーモゥーの牛である。
以前は人間もしておりました!
我がモゥーモゥーと人間の間で見た聞いた話をするモ~。
 
初夏だなモ~シ。我が牛は夏は少し弱いなぁーモ~シ。
でもがんばるギュー。べし。

覚えておくこと。その①

覚えておきなさい。
信仰とは開いているということであるよ・・・信仰とは信頼を意味する。
あなたが何を信じていようと、それに対して開いているということだ。
信頼しないしない心(マインド)は閉じている。
なぜなら恐れているからである。だが信頼しない限り、あなたはこれからも閉じたままだろう。

まず最初に考慮されねばならないことがこれだ。
どちらを信じる方がたやすいか。低次か、または高次か?
あなたは何の理由もなく、疑うことも、考えることもなく低次を信じている。
あなたは低次を信じているのだ。
低次はあなたにとってのリアリティだ。

グルジエフが9歳の子供だった頃、今まさに死の間際にいた彼の父は言った。
「私が人生の中で唯一経験したその計り知れないことを除けば、お前にやれるものは何もない。
遺産としてお前に与えられるものはこのひとつだけだ。いつであれ誰かがお前に
腹を立てたらすぐに反応してはならない。24時間待ってから受け答えなさい。」

後になってグルジエフはこの小さな教えが彼の全人生を変容したと述べている。
―――彼は死にゆく父にこのルールを片時たりとも忘れないと誓った。
誰かが彼を侮辱し、叱ったりまたは罵っても、即座に反応せずにそれを目撃したままだった。

それに、ただ外見上だけではなく、内面もそうしていた。何であれ忍耐強く、
彼に言われる言葉を聞き、なされることを見守ってから言った。
「私はすぐに反応できない。24時間したら戻って来るよ。これは父と交わした約束なんだ。
だから24時間後に戻って来て、それから君の言ったことに反応しよう。」
彼は決して反応しなかった。

24時間経って戻って来て言った。
「さっきは約束のために反応できなかったけれど、今もまだ反応できないよ。」
彼の全生涯はこれによって変化した。なぜなら低次への連絡が閉じられたからだ。

24時間は待つにはあまりにも長い。心(マインド)は一定の圧力が加わって初めてドアを開く。
―――それに、それはほんの一瞬だ。もしあなたが待てば心(マインド)は再び閉じるだろう。
もしその“力”があなたに作用することを許さないなら、24時間後、
状況は冷たく死んだものになるだろう。
熱い時間にだけ、心(マインド)は反応する準備ができている。
怒りの可能性が断たれたのをきっかけに、グルジエフは他の領域でもこの技法を試した!
それは・・・♡女性について・・・

 つづく

                                         勾玉牛拝


                                              

神々のつぶやき No.45 いずれも先達から聞き及んだ話だが…

エントリー投稿日:2021/05/01

我が輩はモゥーモゥーの牛である。
以前は人間もしておりました!
我がモゥーモゥーと人間の間で見た聞いた話をするモ~。

さぁ~ 新緑の季節、春本番の5月!
馬より早く牛も走り!鳥より高く牛も舞い上がる!
ウッシッシ!の日々は続く。

ある祈りの意について。その③

タンセンの師は流浪のファキール(行者)で名前はハリダスという。
タンセンは人をやって師がどこにいるかを調べさせた。すると、
ジャムナ河のほとりの小屋にいることがわかり、
アクバル帝を伴ってその歌を聴かんものと出かけて行った。

付近の村人たちの話では、「真夜中過ぎ、三時頃になると時折歌ったり踊ったりなさいます。
それ以外は、日がな一日静かに坐っているだけです。」というわけで、
2人は夜中にまるで盗人のような格好で小屋の後ろに隠れて待った。
なぜなら、もしそこにいることを知れたら彼は歌わないかもしれないからだ。
          
しかし、ハリダスは歌い始めた。踊り始めたのだ!
アクバル帝は催眠術にかけられた様になった。声ひとつ出せなかった。
どんな讃辞も無意味な気がした。彼はただ涙を流すだけだった。
歌が止み、帰路につくときになっても、アクバル帝は何も言えなかった。
涙が絶えず頬を流れ落ちる・・・・

宮殿に戻り、廷内に入ろうとするとき、はじめてアクバル帝はタンセンに言った。
「わたしはおまえに勝る者はこの世にいないと思っていた。おまえこそ唯一独特と考えていた。
だが今ではおまえはその師と比べたら無に等しいと言わねばなるまい。
この違いはいったいどうしたことだろう?」
        
タンセンは言った。「違いは簡単です。私は何かを得るために歌い奏でます。
力を、威信を、金を、賞賛を得るために。私の音楽はまだ目的のための手段なのです。
私は何かを得るために歌う。
が、私の師は何かを得ているから歌うのです。それこそ2人の違いです。」

「師は自分の内側に何かが在る時だけしか歌いません。
そういう時には歌が流れ出で、踊りが起こるのです。
歌も踊りも副産物のようなもの。彼が神性に満たされ、
もうそれを抱えきれなくなって満ちあふれる時、
その時だけ歌うのです。師の歌はそれ自身で完結している。
彼は祝福するのです!」
        
そしてそれこそ、真の愛と偽りの愛の間にある違いだ。
真の祈りの人は数えることなどしない。
それは全くバカげている。祈りの一瞬はそれほどに豊潤であり・・・・あなたはもうそこにいない。

それは、あなたを完全に満たし尽くし溢れ流れ出す。
もしあなたがたに一瞬でも祈り、愛、瞑想の時が得られたら、あなたがたはいつまでもいつまでも
感謝の念を覚え続けるだろう。不平をこぼすことはないだろう。
正に祈りの「意」の1つの物語である。

  モゥー タイへ~ン!
  何が何んだか分かるかなぁ~モシモシ!
  祈りは重要だモゥー
  頭クラクラ!神社でも行くべかナー!
  モウ オシマイ。

                                       勾玉牛拝

                                             

神々のつぶやき No.44 いずれも先達から聞き及んだ話だが…

エントリー投稿日:2021/04/01

我が輩はモゥーモゥーの牛である。
以前は人間もしておりました!
我がモゥーモゥーと人間の間で見た聞いた話をするモ~。
 
さぁ~ 春だモゥー ようやくやって来たモゥー
しかし今回の話も聞いた話だが大変本格的な話だなぁ~モシ。我がモゥーにはムズカシイー!

ある祈りの意について。その②
こんな悟りもあるモゥー。

<生命>はつねに現金払いだ。約束手形ではない。約束はしない。
<生>はキャッシュ、現金だ。即座に在るものだ。
今ここで<生>はあなたがたに与えられるすべてを与えている。
ハッピーで嬉しい気分の時、あなたは歌い出す。踊り出す。
それをあなたは数えるかね?日記につけるかね?

「・・・30年の間踊ったり歌ったりしてきたが、いまだ神の会得が起こらない」
それならあなたは踊ったことはない。あなたは踊る人ではない。
踊る技術は持ち合わせているかもしれないが踊る人ではない。
歌い方は知っているかも知れないが歌う人では全くない。
これがテクニシャンと踊る人との違いだ。
踊る人は踊る!そしてその瞬間、全てが達成される。その瞬間踊る人は失われるからだ。
エゴが死に、踊る人がいなくなる。踊りは在る。が、その中心はない。
その踊りは無限の海の1つの波だ。寄せてはかえしつつ存在し、かつ溶け消える。
テクニシャンが踊るとき、つまり訓練された踊り手が踊るときには操作がある。
それがいかに完璧であってもその踊りは死んでいる。なぜならそこに操作する人がいるからだ。
彼は計算している。どのくらい・・・・・と。

皆さんに話したいある美しい話がある。
これはインドの偉大なるミュージシャンだったタンセンという人物の生涯に起こった事だ。
タンセンはある日、宮廷の王様から言われた事があった!
「おまえに勝る者がいるなどとは想像もつかない。おまえは決定的な存在のようだ。しかしそう思うたび
私の頭に浮かんでくる考えは、おまえだって誰かの弟子として学んだのに違いあるまいということだ。
その師がお前に勝るかもしれないではないか?お前の師は誰だ?まだ生きているのか?
もしも生きているならこの宮廷に招こうではないか!」

タンセンは言った。「我が師は生きております。しかし宮廷に招くことはできますまい。
あの方は野生の動物のようなもの。宮廷に招き入れることはできません。
流れるがままに、ものごとが起こるがままに、あの方は動きます。社会人ではないのです。
風のような雲のような・・・あの方はこの世に根を下ろさぬ放浪者です。
それにあなた(王様)といえども、あの方に歌い踊ることを求めることはできません。
それは不可能です。あの方は歌を感じる時に歌い、踊りを感じる時に踊るのです。
ですから王様が彼の許に行って待ってみるほかありません!」と。

王様はこの話にすっかり魅了された。王様はタンセンを傾倒していたので
「このタンセンの師が生きているとは!どんなことをしても出かける価値がある。」と思った。
そして「その師がどこにいようとも私(王様)は行ってみよう!」と言った。

  その③に続くモゥー


  一体この文書は何だ!
  ワシャー!モゥーモゥーの牛である。
  モゥー!近所の神社でも行くべか!
  デモ オモシロイ話だギュー!

                                      勾玉牛拝
                                       
                                    

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