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神々のつぶやき No.31 いずれも先達から聞き及んだ話だが…

エントリー投稿日:2020/03/01

我が輩は鼠であります。
ですが、以前は人間もしておりました!
我が輩ねずみと人間の間で見た聞いた話をするチュー。
 
【人間と神々との交通ルール!一方通行ではなかったチュー】

その出会いは常に両者の間のどこかで起こる一方通行ではない。
探求者(自分)だけが神へと向かい始めているわけではない。
探求者が向かい始めた瞬間、神も向かい始めているという。
それは同時に起こる。

実のところそれは一連の作用であり、二つの極性をもつ。
探求者(自分)と探求される者(神という何か)
それは一つの現象であると言う。

だが自分が上昇し始めぬ限り神(何かが)は降りてくることはできない。
人間はあたかも現世の生が全てであるかの様に生き続ける。
高みのことなど預かり知らずに生き続ける。
途方もない可能性が開かれているとも知らず・・

人間はそれなりに可能性を秘めて生まれて来る。
いかなる人もその実存の究極の高みは神(何かがいる)と会う事ができる。
人間だけが神(何かが)を探し求めている訳ではない。

神(何かが)もまた人間を探している。
もしそれが一方通行からだけの出来事だったら、
それほどまで一大事、大変なことではないだろう。 
人間と神々との交通規則に一方通行は無い。

それは神(何かが)を想い続け、祈った結果、
神も全く同じタイミングで人間と交差する点にたどり着く。
そして合体、何かが生まれる。あなたは変わって行く。

もしあなたがそれに気が付かないでいるとしたら、それは全てあなたの責任である。
真剣に祈り始め、真剣に上昇を始めてみると同時に
何かが降り始め、あなたと合う事になる。

しかしあなたが扉を閉じ続けていると外に太陽が出ていようとも、
暗闇の中で生きることになるだろう。
又、たとえ扉が開いていて太陽が出ていたとしても、目を閉じていれば真剣に祈りもせず
上昇的に行動すらしないあなたは、依然として暗闇の中で生きていることになるだろう。

神においても同じ事が言える。
神のエネルギーはいつもそこにあり、近くにあり、神も閉じていては人との合体は実現しない。
人間と神との出会いが実現衝突すると、全体と調和し
全体(人生)とともに鼓動することができるようになる。
そしてその時、大いなる恩寵があなたへ降り注ぐ!

と言っている人間と我がチューは会った事があり今回はそのまま伝えます。


                     あぁ~
                     人間と神様の間には交通ルールがあったのだね!
                     私しゃ鼠チャンでよかった!
                     でも我が輩はいつも猫に追われて一方通行チュー!


                                            勾玉鼠小僧拝

                                    

神々のつぶやき No.30 いずれも先達から聞き及んだ話だが…

エントリー投稿日:2020/02/01


          我が輩はねずみであります。
          ですが、以前は人間もしておりました!
          我が輩ねずみと人間の間で見た聞いた話をするチュー。
 
          【勇気と気概】
          この世の至上の勇気とはいろいろ言われますが、他人のまねをしないこと。
          どんな犠牲を払おうとも可能な限り真正に自分の生を生きることである。
          たとえ!自己の生を生き抜くために命を失おうとも、それだけの価値はあるという。

          なぜ?ならそれこそが魂がいかにして生まれるかだからだ!
          ある目的のために命を賭ける覚悟が出来た時、まさにその死闘の中で・・・
          その「死闘」という言葉は「もがき」を意味する。
          そのまさに「もがき」の中で人は生まれ育つと言う。
          それは生みの苦しみだ!それには勇気と気概がいる。

          自分の生を生きる。
          どうしようもない忠告やどうしようもない先達者からの愚かな言葉に煩わされることなく
          自分の生を生きるが本物の勇気である。

          宗教との出会いもそうだ。煩わされてはいけない。ならない!
          自分の生を生きるがいい。たとえ失敗しても過ちを犯しても他者に従い善人であるよりは
          自分自身の生を全うする方が遥かによい事もあるだろう。

          愚かな者の言葉、占いに従い正しく生きたところでそれは偽善である。
          結果として過ちを犯したとしても自らの判断によるものであれば遅かれ早かれ自分の過ちから
          何かを学びとるだろう。
          そこから脱皮し過ちを犯すことを恐れぬ人だけが何かを学んで行く。

          ところで!過ちを犯さないコツの一つとして大事な事、
          それは耳を貸さない!目を閉じない!空気は強く噛む事だとさ!
          自分の事をやり続けるチューことさ!

                                  チューチューチュー 頑張ってネ

                                                  勾玉鼠小僧拝

                                             

神々のつぶやき No.29 いずれも先達から聞き及んだ話だが…

エントリー投稿日:2020/01/01

          我が輩はねずみであります。
          ですが、以前は人間もしておりました!
          我が輩ねずみと人間の間で見た聞いた、はたまた不思議な物語をこの1年語ります。
          よろしくチュー!
 
          【2020年 令和2年 サァー朝が新年が来たチュー】
          新年の目覚め 朝の目覚め 自分の目覚め 1年 1日 の終わりの最上の締めくくり。

          何事も終わる前、眠る前にマインド(心)に残された最後の思考は、朝目覚めるとき、
          日・年が変わる時、最初の思考になると言います。
          恐らく私達の大半はデレビドラマのイメージで膨れ上がったマインドや
          過去の苦悩や将来の不安とともに眠りにつくのでしょう。又、年が変わって行くのでしょう。
          私達のほとんどは眠りに入って行くにしても年が新しく変わろうとする時も、
          悩み事、又希望の光を抱えているのですが。
                                                 ザ・OSHOより!
          文明が発展し、世の中は便利になった。皆が中流階級以上に思っている人々も多くなった!
          しかし、はたしてそうだろうか?
          我がチューが思うには、今の世はあまりにも苦しみもがいている様に思えて仕方がない。
          それは今人類の意義の歴史上初めて人間は存在の行路を見失ってしまった。
          未だかつて私達ほど苦しみに見舞われた人間はいないかも知れないチューチュ!
          過去において人々は終始貧しかった・・・実に貧しかった。
          人々はずっとひもじい思いをしてきた。
          だが精神的にはこれほど貧しいことは決してなかった。
          今日ほど人類が精神的な飢餓感を覚えたことはない。
          うんぬん言うつもりはなく人類が再び存在に根ざさぬ限り、今の人類に未来はない!
          信仰も遠い昔とは変わって来た。

          一つ例をとなえると、我がチューが見るに、人々が祈る場所に通うのは、新の祈りと愛ゆえにではなく、
          ただ己の特異な願望ただ心の底にある義務的祈り、又恐れゆえに祈るのかもしれない。
          年をとればとるほど、より足しげく神社仏閣へ通う様になるのも一層何かを恐れる様になるからでもある。
          とも言う。この上なく価値あるものを知り得た人々の祈りは、このての祈りより大きく異なるとチューは思う。
          自分本位の祈り、上手くいかない事への祈り、本格的に祈りにならない祈り、
          己への恐れから神仏に伺うことなく人間そのものの感受性を得て全ての体験を通して
          心から神仏の元へ行ける様、日々祈り続ければ途方もなく人類は素晴らしいものとなるだろう。
          人生はとてつもない挑戦でもある。その生きたエネルギーは結晶化され本物の神仏と勇気と手を結ぶことだ。
          自分をどんどん突き進ませるほどの勇気と、それはあたかも地図無しで対岸の事などあずかり知らずに
          小舟で荒れ狂う海へと漕ぎ出して行く様に!コロンブスの様に・・・
          ただただ地球は丸いという仮設だけを頼りにいずれの地にたどり着くという
          希望という宝を抱きつつコロンブスの様にあるべきである。

          サァー朝がくる。新年が来たでチュー
          いよいよみんなの出番だ。時が来た。
          素晴らしい日々を祈りこの年を輝けるものにしよう。
          我がチューもやります。

                                                  勾玉鼠小僧拝
                                                  ザ・OSHOより。

神々のつぶやき NO.28  いずれも先達から聞き及んだ話だが…

エントリー投稿日:2019/12/01


我が輩は猫であります。
ですが、以前は人間もしておりました!
人間時代に聞き及んだ話をするニャー。
 
【子供(幼児)の秘密だって!】その②

分割が始まると分裂が生まれてくる。2歳前後からすでにその前兆が出始める。
これが極端になるといわゆる二重人格となって分裂する。
怒ると変わり、泣くと変わり、何をしてもすぐ変わる。これが同じ人間とはとても思えない程!
この分裂状態こそ人間に起こるあらゆる不幸の原因、源である。エゴとも言う。

母親が微笑む・・・これは母親が子供について何か話しているのではない。
彼女は自分自身について何かを語っているのだ。彼女は嬉しい。母親になって幸福だと。

普通の母親はみんな微笑む。どんな醜い子供に対してでも母親だったら微笑みかける。
たとえごくごく普通の子供であっても母親は必ず想いを巡らす。

この子はナポレオンのようになるかしら!アレクサンダー大王のようになるかしら!
それともお釈迦様のように・・・? が、母親が語っているのは子供のことではない。
彼女は母親であることで幸せだ。彼女が語っているのは彼女自身のこと。

そしてもし子供が微笑んだら母親がもまたエゴを集めるのだ。
子供の微笑みを見て母親はいい気分になる。彼女は子供が自分に微笑みかけたと考えるからだ。
誰もが同じことを互いにやりあう。

子供は別に微笑みかけているのではない。子供は別に母親について何かを話している訳ではない。
いつ微笑していつ泣いたら良いか子供は知っている!
そして母親、父親は罰したり褒美を与えたりし始める。
もし母親に良い感じが持てなかったら笑おうとしない。母親を見ようともしない。
母親は子供を説き伏せなければならなくなる。

だが子供は自分自身について何かを示しているのであって母親についてではない。
母親は母親で自分自身の何かを示しているだけ。子供についてではない。
ある瞬間にこうであると思うと次の瞬間には全く違う。
朝には機嫌よくニコニコしていた母親が昼には怒って子供をぶつ。

もしあなたが1つの気分しか持たない1人の人間と暮らすのだったら、あなたのエゴも1つだけだろう。
が、あなた方は無数の気分を持った多くの人々と暮らして来てあらゆる種類の印象を受けて来た。

子供はどんな子供でも母親を見てニッコリするが、これは彼女が子供にとって
食物と愛情の源泉だからだ。そしてこの子供のニッコリは一種の外交的な駆け引きに過ぎない。
そうする事で子供は愛情や栄養をもっともっと獲得する。
2歳~3歳頃に子供は一番花開き、政治家になって行く。
4歳~5歳、その政治家は本物のカラを破り全てに羽根が生え飛び立って行く。

エゴとは母親、父親から生み出され分割され分裂し、
2歳前後に印象や反映や反射像(リフレクション)などの蓄積となり、
そしてこの時期にインプットされたエゴと共に生きていく。

このエゴを何かで落とさない限り、釈然としない世の中を生きて行く事となるかも知れない。
親は全て身も心も鏡である。最大のポイントは生まれて2歳(2年)で心が決まるという事らしい。
どのような環境で、どのような家庭で過ごすかが
大きなスタート台になるようである。とも言っている人がいたらしい。

人生100年の計が2年で決まるかも知れないニャー。
むずかしい。むずかしい。
今回は特に(でも少し分らなくはないニャー)

そう言えば勾玉小僧の母親は当時の皇后様から現天皇陛下の妹の黒田清子様の教育係を
何度も頼まれ恐れ多くお断りしていたが結果OKし、2歳から7年間、家庭教師をしたっけ。
やっぱり2歳が重要なのかニャー。

当時の新聞記事ニャ~



                                                勾玉小僧拝
                                         

神々のつぶやき NO.27  いずれも先達から聞き及んだ話だが…

エントリー投稿日:2019/11/01

我が輩は猫であります。
ですが、以前は人間もしておりました!
人間時代に聞き及んだ話をするニャー。
 
【子供(幼児)の秘密だって!】その①

子供が一人生まれたとする。
その子は自分が誰であるか知らない。が、誰であるか知らなければならない。
さもなければ世の中で生きて行くことはとても出来ない!
自分は誰かだと感じ始める時、初めて子供は世の中に入っていく。

あなたがたが幼児の頃のことをほとんど思い出せないのはこのためである。
過去に遡っていても思い出せるのは3歳か4歳くらいまで。
それ以前の時期には入ってはいけない。これはどうした事だろう?
その時期には記憶の機能がなかったのだろうか?
頭に刻みつけられる印象とか体験とかがなかったのだろうか?

もちろんあった。
実のところ2、3歳頃の幼児が受ける印象は生涯のうちでももっとも鮮明という。
そして数限りない体験を子供は経ていく。
それなのになぜ記憶がないのだろう?

これはエゴがまだ熟していないからである。
この頃の幼児は自分が誰であるかまだ存在確認していない。
どんな自己証明もまだ芽を出していない。
幼児はどのようにしてエゴを持つようになるのだろう?

幼な子は母親の眼に見入る。
その眼は幸福そうに微笑んでいる。子供はその印象を集めていく。
「自分は美しいに違いない。自分は可愛らしくって大事な大切な存在に違いない。
自分が近くにいるとお母さんはすごく幸福になる。抱いたりキスしたり・・・」
子供はどんどん印象を集め、蓄える。
父親はなんとも嬉しそうに子供を高く抱き上げ、一緒に遊ぶ。
そして子供はそれをよく見ているのだ。

父親が鏡になり、母親が鏡になり、そして近所の人たち・・・
だんだんだんだんと子供はかき集め、その頭(マインド)の中に
自分が誰であるかをファイルしていく。
だから母親を父親を知らずに育った子供は・・自分を証明するための
存在確認(アイデンティティ)にいつも何か欠けている。

当然の事だが、まもなく子供は集めた印象を区分けして整理し始める。
自分を愛してくれる人たち、子供は彼らを大事にし、
自分を嫌う人たちは好きじゃない。
したがって自分のエゴにとって良くない印象は無意識の中で
頭(マインド)の地下室の中に投げ捨てられる。

誰かに殴られる!誰かに「おまえは醜い」と言われる。「バカな子供だ」と言われる。
こういう印象を子供は無意識の中に投げ込んでしまう。
そして分割が始まる。


ヒッヒッヒッヒ!
怖い話は続く。
さあ~どうなって行くのかニャー
人間の子供って大変だ!大変だ!

                                              勾玉小僧拝

                              

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