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神々のつぶやき NO.23  いずれも先達から聞き及んだ話だが…

エントリー投稿日:2019/07/01

          我が輩は猫であります。
          ですが、以前は人間もしておりました!
          人間時代に聞き及んだ話をするニャー。

          【自由へと飛び立つ?いろいろな事があるニャー】 その①

          本日の話のキーワードは次の文言から始まる。
          「そのとき一羽の鳥が迷い入り、どこから出てよいのかわからずに、ここあそこと飛び回る・・・
          唯一開いた窓近く、鳥が落ち着くのを待ち受けてスゴイ人?は突然パン!と手を鳴らす。
          驚いた鳥は開いた窓からまっしぐら自由へと飛び立った!
          あの音は鳥にとってちょっとショックだったに違いない。侮辱でさえあったかも知れないね。
          あなたはそうは思わないかい?」

          偉大なる教師、いや高僧、いや神主でもある、とあるスゴイ人の許に一人の男がやって来て、
          自分の悩みを助けてほしい。教えの道に導いてほしいと乞い求めた!
          だがスゴイ人はこう答えた。
          「宗教上の探求などやめて直ちにここを立ち去れ!」と叫んで追い返してしまった。
          ちょっと残酷な仕打ちだね。ぞんざいな扱いかただ。
          スゴイ人の理想像とはかけ離れている。
          この男は一人の求道者としてやってきた。彼は助けを求めている。
          一人の悩み多き深き者としてやって来ているのに、スゴイ人のこのふるまいはちょっとひどい!
          「宗教上の探求などやめて直ちにここを立ち去れ!」とは!
          なぜ?スゴイ人はこの男を追い返そうとするのだろう???

          偉大なる教師、高僧、神主とは助けるためにも存在しているとも思う。
          スゴイ人は人々を招き歓迎し、そして話を聞き、その答えらしきものを伝えるものなのに、
          このスゴイ人のふるまいはなぜだろう?
          スゴイ人からこのような仕打ちを受けようとは誰も思わない!
          しかも訪ねて来たこの男は自分の問題を何とかしてほしい。
          求道の道案内をして欲しいと頼んでいるだけなのだ。

          その時、スゴイ人の近くにいた客らしき者が、あまりにも理不尽、不自然だったので
          スゴイ人に向かって話しかけた。
          「これはまたどういう事でしょう?どうしてこんなふるまいをなさるのか?説明して頂きたいものです。
          あの男は別に悪いことをしでかした訳ではない。一人の邪気のない求道者ではありませんか。
          それなのにあなたときたら・・・追い出してしまわれた。
          それならあなたはいったい何のためにここにおられるのですか?
          あの男は助けを求めたのにあなたは扉を閉ざす。彼は乞いを求めているのにあなたは辛くあたる。」
          心やさしい客がスゴイ人にたずねた。
          スゴイ人がこれに答えた!

          サアーどんな話になるのかニャー
          オモシロイネ
          次回またよろしく

                                                勾玉小僧拝
                                                     

神々のつぶやき NO.22  いずれも先達から聞き及んだ話だが…

エントリー投稿日:2019/06/01

          我が輩は猫であります。
          ですが、以前は人間もしておりました!
          人間時代に聞き及んだ話をするニャー。

          【大井戸捜査網!事故中心的捜査隊物語】 その②

          実は井戸へ落ちた男はもうぐったりしてこんな事を考えていたと言う。
          「ああ~もう助かる見込みはない。あんなに信仰の深い人達が来たっていうのに・・・」トホホ

          しかし、そんな思いとは別に我等のミスター宣教師は素早くロープとバケツを投げ下ろし、
          「引っ張り上げるからつかまりなさい」と大きな声で言った!
          正に一瞬だった。
          男は助けられて感謝の念を表しようもなく、ただただ宣教師の足元にひれ伏した。
          「あなた様だけが唯一の信仰深いお方です!」
          ビョ~ン ビョ~ン!

          すると宣教師は言った。
          「誤解してもらっては困る。これは主様が言ったこと。つまり最後の一人にまでも奉仕しない限り
          <神の国>に至ることはできないと言うことなんだ。
          奉仕はサダナ(sadhana)修行だ。
          奉仕を通してはじめて人は天国に到達する。
          だからよく覚えておいておくれ。
          何回でも井戸に落ちるんだ。宣教師は私だけじゃないんでね!
          子供達にも井戸に落ちるように教えなさい。そうすれば私達がかけつけて助けられる。
          あなた達が井戸に落ちなかったらどうやって私達が天国に至れると思う?」

          助けられた男は目がくらみ、軽い脳震盪がおきた様だ!???

          もし本当にこの様な考えを持った宗教者がいたら一体祈りとか念じるとか敬うとか、
          この偉大な言葉や文言はどうなるのか?
          井戸へ落ちた男もそんな考えが頭の中に浮かんで来た。

          もし、いわゆる宗教善人?と言われる方々の手につかまったら逃げるのはとても難しい。
          投獄されたも同じかもしれない!

          そういう人はすべてを「あなたのため」にやる。
          しかし、何をやろうとも、あなたという他者を通して天国への道を見つけようとしている
          とも思われてしまう。
          単なる宗教的手段だ!
          恐らく人間社会ではもっとも非道徳な行為かも知れないニャー
          人間を1つの手段として扱うなんとことは最大の罪だと思うニャー
          我が輩はネコニャンでよかった!

          分かち合えるものなら分かち合いなさい。
          だがどんな人間であろうとも、他者を変えようとしてはならない。
          変えようなんて、いったいあなたは何様かね?
          誰かを変えさせようなんていったい何様のつもりだね?
          誰がそんな権利を与えたのかね?
          もしできるのなら助けるがいいさ。だがその助けを手段にしてはならないね。
          そうしてしまったら、たとえあなたが宗教の世界にいたとしても、
          同じ様に計算高いずる賢い人としてとどまり、他者を搾取することになる。
          ギャーギャーギャー!大変だよ。

          この様な事が自己中心、事故中心的なことなのかニャー。
          私しゃーネコでよかったかね?
          又つかれて来た。
          神社でも行くべかさ!

                                             勾玉小僧拝
                                                    

神々のつぶやき NO.22  いずれも先達から聞き及んだ話だが…仮

エントリー投稿日:2019/06/01

          我が輩は猫であります。
          ですが、以前は人間もしておりました!
          人間時代に聞き及んだ話をするニャー。
 
          【大井戸捜査網!事故中心的捜査隊物語】 その②

          実は井戸へ落ちた男はもうぐったりしてこんな事を考えていたと言う。
          「ああ〜もう助かる見込みはない。あんなに信仰の深い人達が来たっていうのに・・・」トホホ
          しかし、そんな思いとは別に我等のミスター宣教師は素早くロープとバケツを投げ下ろ「引っ張り上げるからつかまりなさい」と大きな声で言った!
          正に一瞬だった。
          男は助けられて感謝の念を表しようもなく、ただただ宣教師の足元にひれ伏した。
          「あなた様だけが唯一の信仰深いお方です!」
          ビョ〜ン ビョ〜ン!

          すると宣教師は言った。
          「誤解してもらっては困る。これは主様が言ったこと。
          つまり最後の一人にまでも奉仕しない限り<神の国>に至ることはできないと言うことなんだ。
          奉仕はサダナ(sadhana)修行だ。
          奉仕を通してはじめて人は天国に到達する。
          だからよく覚えておいておくれ。
          何回でも井戸に落ちるんだ。宣教師は私だけじゃないんでね!
          子供達にも井戸に落ちるように教えなさい。そうすれば私達がかけつけて助けられる。
          あなた達が井戸に落ちなかったらどうやって私達が天国に到れると思う?」

          助けられた男は目がくらみ、軽い脳震盪がおきた様だ!???

          もし本当にこの様な考えを持った宗教者がいたら一体祈りとか念じるとか敬うとか、この偉大な言葉や文言はどうなるのか?
          井戸へ落ちた男もそんな考えが頭の中に浮かんで来た。

          もし、いわゆる宗教善人?と言われる方々の手につかまったら逃げるのはとても難しい。
          投獄されたも同じかもしれない!

          そういう人はすべてを「あなたのため」にやる。
          しかし、何をやろうとも、あなたという他者を通して天国への道を見つけようとしている
とも思われてしまう。
          単なる宗教的手段だ!
          恐らく人間社会ではもっとも非道徳な行為かも知れないニャー
          人間を1つの手段として扱うなんてことは最大の罪だと思うニャー
          我が輩はネコニャンでよかった!

          分かち合えるものなら分かち合いなさい。
          だがどんな人間であろうとも、他者を変えようとしてはならない。
          変えようなんて、いったいあなたは何様かね?
          誰かを変えさせようなんていったい何様のつもりだね?
          誰がそんな権利を与えたのかね?
          もしできるのなら助けるがいいさ。だがその助けを手段にしてはならないね。
          そうしてしまったら、たとえあなたが宗教の世界にいたとしても、同じ様に計算高いずる賢い人としてとどまり、他者を搾取することになる。

          ギャーギャーギャー!大変だよ。
          この様な事が自己中心、事故中心的なことなのかニャー。
          私しゃーネコでよかったかね?
          又つかれて来た。
          神社でも行くべかさ!

勾玉小僧拝

神々のつぶやき NO.21  いずれも先達から聞き及んだ話だが…

エントリー投稿日:2019/05/01

          我が輩は猫であります。
          ですが、以前は人間もしておりました!
          人間時代に聞き及んだ話をするニャー。
 
         【大井戸捜査網!事故中心的捜査隊物語】 その①

          ある国のあるところで大きな祭りがあって、多くの人が集まっていた。
          と、その附近に囲いのない井戸があり、男が一人落ちてしまった。
          男は必死に大声をあげたが、祭りの騒ぎや群衆の騒音で誰一人叫び声に気づかない。
          そのうちにビンという名の僧侶が井戸に近寄ってきた。喉が渇いていたのだろう。
          井戸を見下ろすと男が泣いたり叫んだりしている。
          「助けてくれ~!」

          すると、ビンは言った。
          「誰も他者(ひと)を助けることはできないと釈尊は申されました。おのれ自身の光たれ! 
          誰も他者を助けられる者はいない。助けを待つではない。それどころか、釈尊はこうも申された。
          すべての人は己のカルマ(業)を苦しまねばならぬとな。
          おまえさまもどこかで罪を犯されたからこそ、このように苦しまねばならぬのだろう。
          ならば静かに苦しまれるがよい。大声を出したり泣いたりせぬことだ」

          井戸の中の男は叫んだ。
          「まずは助けてくださいよ。後でゆっくりお説教も聴きますから。今聴こうったってムリだ!」
          しかしビンはさっさとその場を離れて行った。というのも、
          『他者のカルマに関わるなかれ』という仏陀の言辞を覚えていたからだ。

          次にやってきたのは儒者。これも一人の僧だった。かれも井戸を見下ろした。男はまた叫んだ。
          「助けてください。死にそうなんです。誰にも聞こえないようなんです」
          すると儒者は言った。
          「やはり孔子は正しかった。孔子はすべて井戸には囲いを作るべきだと言ったんだよ。
          だから心配することはない。我々は大躍進して社会を変えて行く。
          そして政府をして国中の井戸に囲いを作るように圧力をかける。だから心配しなくていい」

          井戸の男は言う。
          「でも、その時までには私は死んでしまう。
          それに私はもう落っこちてしまったんだから、 そんなことがどう役に立つんだ!」
          すると儒者は言った。
          「それは大したことじゃない。個人は大事じゃないんだ。個人は来てまた去って行く。問題は社会だ。
          だから君も、こんなことは二度と起こらないということを心のなぐさめにして平和に死ねますよ」
          孔子は社会の改革者だね…トホホ?

          さて次に現れたのが世界最大の宗教団体の方であった。イヨッ!ミスター宣教師!
          かれは井戸を見下ろすと、落ちている男が何も言わないうちに自分のカバンを開けた。
          中にはロープの付いたバケツも入っている。この方は常に、奉仕する万全の用意ができているみたいだ。
          ビョーン!! 男はまだ何ひとつ言っていないのに…

          アンレマー! 一体どうなるの?  
                                                続く。


              我が輩も泣きたいニャー
              ドット疲れてきた!
              神社でも行くべか!

                                             勾玉小僧拝
                                                   

神々のつぶやき NO.20  いずれも先達から聞き及んだ話だが…

エントリー投稿日:2019/04/01

          我が輩は猫であります。
          ですが、以前は人間もしておりました!
          人間時代に聞き及んだ話をするニャー。
 
          祈りの根元? その②

          OHSOは寺に行った。
          そして二度と帰ってこなかった…彼は死んだ。
          その寺の神像の前に立って、ただ一度だけ彼は祈り、そして死んだ。
          本当に彼は祈りの内に全―(トータル)に入っていた。何ひとつおいていかなかった。

          祈りには、愛には、全―(トータル)なるあなたが必要とされる。
          ごく一部分であっても、残って見ていたり、計算したり操作していたりする部分があってはならない。
          断片だけであってはならない。あなたの全体が入るのだ。
          祈りが神聖になるのは、このためだ。あなたのすべてが全体的にその内に入るからだ。
          全―(トータル)に在ることこそ神聖なこと、ほかに神聖はない。

          OHSOは亡くなった。
          夜も更けてきたのにOHSOが戻らないとなって、父親は人をやって何が起こったか見に行かせた。
          が、OHSOはそこにはいなかった。ただ死んだ肉体(カラダ)だけが横たわっていた。
          しかし、その顔には変容を得た神聖な美しさが見られたという。
          死体でさえ<未知>なるもののオーラを放っていた。OHSOは変貌を遂げたのだった。

          憶えておくがいい。あなたがたのすることが何であれ、それは真実であるべきことを。
          見せかけであってはならないことを。
          憶えていなさい。それが何であれ欲望のためになされてはならない。
          そうではなく、愛の精神でなされるべきだということを。計算をいっさいせずになされるべきだと。
          なぜなら祈りとは、愛とは、<神>とは、算数の対象ではないからだ。
 
          OHSOは、百年かけてもダメだろうとこたえた。
          なぜかと問われて、彼は言う。
          「おまえの自己中心が、おまえ自身と真理のあいだの障害物となっているからだ…」
          自己中心の本物とは???
          この自己中心(Selfishness)という言葉を理解しておかなければならない!

          普通には、人を自己中心的な人と呼ぶ場合、何でも自分のためにする人、
          すべてを自分自身のために操作する人を指していう。だが、これは表面的な自己中心だ。
          これと同じレベルで非自己中心的(Unselfish)になりうる。それは難しいことではない。
          非自己中心的な人々とは、いつも他の人々のために働き、奉仕して役立とうとする人達だ。
          あなた方も、そういう人達を知っているだろう?

          だが彼らは自己中心的な人達と同じように、いやそれ以上に危険な存在になりうる。
          自己中心的な人は避けることができるが、非自己中心的に動く人から逃れることはできない。
          そういう人は大変危険だ。

          そういう人はあなた方を助けようとしているのだ。あなた方のために働こうというのだ。
          そういう人は重荷をつくりだす。そして、どこか深いところで、非常に奥深いところで、
          この非自己中心は、ふたたび自己中心になっている。
          その非自己中心を通じて<神性>を達成したいと思っているのだから!

          ある宗教の宣教師たちを見てごらん。
          彼らは実によく働く。人々に奉仕する。彼らは大した奉仕者だ。
          が、深いところで、その奉仕全体は自己中心的でありつづける。
          なぜなら、その奉仕を通じて彼岸に渡ろうと彼らは待ち望んでいるからだ。

          奉仕を通じて彼らは「はしご」の横木を組み立てている。その「はしご」を登って天国に行こうというのだろう。
          天国が終着地(ゴール)。奉仕はそのための手段。
          次は、これについて一つ話を聞かせよう。実に面白い話だ。またニャー。

          しかしフーフーフー! 我が輩ニャー
          何が何だか分からニャイ世界の話みたいだが何となく分かる気もするし、面白い話かもしれないニャー
          こんな事を言ってるすごい人達がいるもんだ

               次回、面白そうだニャー
               その前に神社でも行くべか!
               宜しく!
                                              勾玉小僧拝
                                                   

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