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神々のつぶやきNO.14 いずれも先達から聞き及んだ話だが…

エントリー投稿日:2018/10/01

我が輩は猫であります。
ですが以前は人間もしておりました!
人間時代に聞き及んだ話をするニャー。
西洋であった話だが…

裁くなかれ成り【後編】
何事も我が輩が人間だった頃出会った話だがニャー。

【前回より続く】
老人には若い息子がいた。一人息子だ。
この若者が野生の馬を馴らしはじめたのだが1週間ほどたった頃、彼は馬から落ちて両足を折ってしまった。
村人達はまたまた集まって来て…人々というのはどこでも同じだ。どこにでもいる! またまたお裁きだ。

彼らが言うには「あんたは正しかった。あんたの言ったことがまた正しいことが証明されたね。
やっぱりお恵みじゃなかった。災難だったんだよ。一人息子の両足を駄目にしちゃったんだもの。
あんたの歳になったらあの子は唯一の支えだっただろうに。前よりひどい貧乏暮しになってしまう」

老人は言った。「あんたがたは裁くことにとりつかれている。そんなに行き過ぎなさんな。
ただ私の息子が足を折ったとだけ言えばいいじゃないか。これが災難か恵みか誰にわかるね? 
誰にもわからない! これもまた一断片だ!」

こんな事があってから数週間経った頃、隣国との間に戦争が始まった。村や町の若者達はみな強制的に徴兵されていった。
ただ一人、あの老人の息子だけは足が不自由なために徴兵をまぬがれた。どの家からも若者達が強引に連れ出されていく。
人々は身を寄せ合って泣きくれていた。村中の人々は泣き叫び悲嘆にくれながら老人に言った。
「あんたは正しかったよ。爺さん、神様は知ってなさったね! あんたは正しかった。
あれがお恵みだったことが証明されたじゃないか。あんたの息子はあんたと一緒にいられるんだもの」

老人は言った。「あんたがたとはもう話ができないよ。あんたがたときたら次か ら次へととめどなく裁きつづけてきりがない。
先は誰にもわからないんだ! 言うのならこれだけ言えばいいさ。
強制的に軍隊に入らされた! そして私の息子は強制されなかったとだけね」

何が恵みか災いかは誰にもわからない。誰もそれを知ることのできる人はいない。
(神のみぞ知るのさ)

裁くなかれ!
そう。
この人は素晴らしい⁉
あの人はダメだ!?
この人は光明を得ているか!?
あの人は光明を得ていない!?
ひとたび裁いたら、何事も成長は止まるとニャー!
神は裁かず! 人は裁く! とさ。
さあ、神社でも行くか!

                                                勾玉小僧拝
                                                      

神々のつぶやきNO.13 いずれも先達から聞き及んだ話だが…

エントリー投稿日:2018/09/01

我が輩は猫であります。
ですが以前は人間もしておりました!
人間時代に聞き及んだ話をするニャー。
西洋であった話だが…

裁くなかれ成り
何事も我が輩が人間だった頃出会った話だがニャー。

          ある村にひとりの老人が住んでいた。ひどく貧乏していたが、ただ、王様や金持ちがうらやむような
          美しい白馬を一頭もっていた。それは今まで見たことがないような見事な馬だった。王様はもちろん、
          お金持ちの人々がその馬を欲しがって途方もない代価を払おうとした。しかし老人は決まってこう言った。
          「この馬は私にとっては馬じゃありません。これは人なんです。人をどうして売れましょう。
          これは私の友達なんだ。所有物じゃないんです。売るなんてことはできない」
          貧しい老人にとって大金は大きな誘惑だったが。

          ある朝のこと、白馬が厩からいなくなっていた。村中の人達が集まってきて言うには、
          「じいさん、あんたばかだったよ。私達は前からわかっていたんだ。いつかあの馬が盗まれるだろうってね」
          だから言っただろう、売っておいた方がずっとよかったんだよ。
          すると老人は言った。「先に行き過ぎなさんな。厩から馬がいなくなったとだけ言えばいいじゃないか」
          それが事実だろう。ほかの事は判断評価だ!これが災難かどうかあんたがどうして分かる?どうやって裁くのかね?

          村人達は笑った。宝を失くしちまったことは事実だ、災難だったこともね、と。また、この年寄りは少し狂っていると。
          さもなければとっくにあの馬を売って豊かな暮しをしていただろう。ところが樵(きこり)のような生活だ。
          とても年を取っているのに、まだ木を切って森から運びだし、それを売って暮しているんだから。
          みじめで貧しいその日暮し。今ではもう、この老人が狂っていることは疑い様がなかった。

          それから15日たったある日、突然その馬は戻ってきた。
          馬は盗まれたのではなかった。ただ逃げ出して野生の生活をしていただけだった。
          それに、ただ戻ってきただけではない。
          12頭の野生の馬、それも誰が見ても素晴らしい馬を連れて戻っていた。
          ふたたび人々は集まってきて言った。
          「じいさん、あんたは正しかった。私達がまちがっていたんだ。災難じゃなかったね。
          これはお恵みだったんだね。強く言い張ったりしてすまないことをした」

          すると老人は言った。
          「またまた行き過ぎだよ。ただ馬が帰ったと言うだけでいい。12頭の馬があの馬と一緒に来たと言うだけでいい。
          裁きなさんな。これがお恵みかどうか、いったい誰にわかるのかね?
          物事は全体の事情がわかるまではどう判断することもできまい?」

          本を1ページ読むだけで本全体をどう判断できるかね?
          一話のうち一行を読むだけでいったいその一話をどう判断できる?
          これを恵みなどと言いなさんな! 誰にも分からないことだよ!
          そして老人は言った。自分は(判断せず評価せず)で大いに幸せなんだ。邪魔しないでおくれ!と。
          今回は、人々は何も言うことができなかった。もしかしたらまたこの老人の言う通りかもしれないからだ。

          そこで人々は黙って一言も言わないでいたが、心の内では老人がまちがっているのだとよくわかっていた。
          老人の馬と、ともに来た12頭の美しい馬、ちょっと馴らせばこの馬達だって全部売れる。
          そうなりゃ大金がころがりこんでこようものを!!! さあどうなる!
          この老人には若い息子が一人いた…続く。

                                           次回をお楽しみニャー

                                                  勾玉小僧拝  
                                                  

神々のつぶやきNO.12 いずれも先達から聞き及んだ話だが…

エントリー投稿日:2018/08/01

我が輩は猫であります。
ですが以前は人間もしておりました!

人間時代に聞き及んだ、又、体験した話を今回から何回か、
人間的バージョンでお話しします。宜しくニャー。

《こんな話もありました。無知な人々には二種類のタイプがあるとのことです。
最初のタイプは自分自身が無知だということを知らないタイプ…
この人達は自分が知っていると自動的に考える。
これは“知る”ということへの無知ということ

別のタイプの人々は、自分が無知であるということに気づいている人々である。
これは無知というらしい。
自分の無知に気づくようになった時、知ることの始まりに到達する。
自分は知っていると思っている人々は宗教的にはなれないと言います。
自分は知っていると考える人達は非宗教的にならざるをえないとも言います。
というのも知識でいっぱいになった自我(エゴ)はとても巧妙だからと言っています。
しかし、自分が無知であることを知った瞬間、自我(エゴ)は消えると言います。

自我(エゴ)を打ち負かすための最大の攻撃は、自分の無知に気づくことであり、
又、自我(エゴ)をもっとも強固にする最適な方法は、知識を強く求めることである。》

こんなこと言っている人が私の人間時代にいたニャー!
来月も人間バージョンで。

あぁ~ 神社へ行こう。


                              勾玉小僧拝
                                              

神々のつぶやきNO.11 いずれも先達から聞き及んだ話だが…

エントリー投稿日:2018/07/01

今日は我が輩の誕生日だニャー!
バーでも行って一杯飲むかニャー!

ほんじゃ今日の話。

一つの湖にいくつかの水飲み場があったとさ!
ヒンズー教はそれを「ジャル」と呼び、
別の場所で飲んでいたイスラムの人達は水を「パン」と呼び、
キリスト教の友達は「ウォーター」と呼んでたニャー。
同じものだけど名前が違っているだけにすぎないニャー

祈りもアラーと呼び、他の人は神と呼び、また違う人はカーリーと呼ぶので、
何が何だか分からなくなることもあるニャー。

まあ、いつの日か一つになるさ!
困ったニャオ!

さあ、今日も神社でも行くべか!!

我が輩は💛恋い焦がれるように神様をいつも呼んでみるさ。
子猫のニャーオーニャーオー、子犬のクンクン!
必ず誰かが何かがやってくるニャー

                                          勾玉小僧拝
                                                

神々のつぶやきNO.10 いずれも先達から聞き及んだ話だが・・・我が輩は鞍馬山に住むニャーである

エントリー投稿日:2018/06/01

             我が輩は鞍馬山に住むニャーである。
             我がニャーの主人鞍馬天狗様が昔、こんなことを言っていたのを思い出したニャー。

             ある日、鞍馬山の高い崖から人が落ち、途中で辛うじて木の枝につかまったニャーが、
             その枝が折れそうになって「誰か助けてくれニャー」と叫んだみたいだ。

             そこに突然、空中に鼻の長~い天狗様が現れ、つかまっている人に尋ねたとさ。
              「あんた様は神を信じるかなもし?」
             そうしたら必死になって、
              「信じるニャー、信じるニャー。信じるから助けてくれニャー」と泣きながら答えた。

             そこで天狗様。
              「分かった、分かったニャー。助けてあげるからその手を放して~」と言ったらしい。
              そしたらさ、この方、「誰か他に助けてくれる者はいないか!」と大声で叫んだとさ。

             わたしゃ、頭が鞍、鞍ニャー!
             神社でも行くか。

                                             勾玉小僧拝
                                              

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